終わらないしりとりを君と
――あ、また面接してる。
メイド喫茶という場に似つかわしくない、腰に刀を差した侍が、ひとつのテーブルの傍に立っていた。座っているのは長髪の綺麗な男性と、向かいにはリクルートスーツを着た若い男性だ。長髪の男性の名は、桂小太郎。アキバNEOを拠点とする攘夷党の党首であり、度々ここを攘夷志士の面接に使う。
なぜ私がそれを知っているのかと言うと、職場の中で桂さんが有名だからだ。本当は攘夷志士の面接をこの店でするのはやめてほしいのだが、特別料金を払ってくれるので無下にはできないと店長は言った。
「リクルートスーツを着てきたのはいいけど、履歴書がないのは論外だ。あと君、座っていいって言う前に座ったよね? 常識ないって言われない?」
桂さんはくどくどと新人に向かって説教じみたことを言っている。この空気の中接客しに行くのは嫌だったが、仕事なのだから仕方がない。私は彼のテーブルへ向かった。
「ご主人様、お帰りなさいませ」
「ご主人様じゃない、桂だ」
このやり取りも何度しただろう。
「ふっ、やられてばかりいたが、今回は俺が勝つ」
言いながら桂さんは財布を出して、料金を払ってくれた。何度も勝負しているので、私のことはもう認知されているらしい。桂さんの隣に座り、「じゃあ行きますよ」と新人そっちのけでじゃんけんをする。
「じゃんけーん、ぽん」
桂さんはじゃんけんが弱いので、今回も私が勝つだろう。そう思っていたけれど、桂さんが勝ってしまった。ほくそ笑んだ桂さんに私は焦ってしまい、「あっち向いてホイ」で、彼の指につられて同じ方向を向いてしまった。
ビンタされる、と目を瞑ると、ぺち、と優しく頬を叩かれる。目を開けば、桂さんが微笑んでいた。
「俺が本気でビンタするとでも思ったか? 侍が女子に手を上げる訳なかろう」
私はその言葉に、表情に、心を射抜かれてしまった。私は店の規定で、いつも鼻血を出させるくらい、強くビンタしているのに。心臓が大きく鳴り出し、顔に熱が集まってくる。どうしよう。よりによって桂さんを……。
「……あのー、いい感じのところ悪いんですが、こいつはどうしますか?」
「とりあえず面接は終わりだ。試験会場に連れて行け」
「はい」
我に返った私は立ち上がって、去っていく桂さんたちに頭を下げた。
「行ってらっしゃいませ、ご主人様」
「ご主人様じゃない桂だ」
お決まりの台詞のあとに、「また来る」と桂さんは小さく言った。「えっ」と顔をあげた時には、彼らは店を出ていったところだった。
12月の空気は透き通っていて寒々しく、嫌でも冬なのだなと実感する。ミニ丈の着物にニーハイを履いているけれど、ニーハイが薄いため寒さを防げていない。
チラシを持つ手を変えて、右手に息をはーっとかければ、それは白い煙となって消えた。私の恋心も、そろそろこんな風に消えていくだろう。
桂さんは、あれから店に来なかった。また来る、と言っていた桂さんが。最初は期待していた私も、ふた月が過ぎる頃にはもう諦めていた。桂さんは店に来ることはないし、私と恋仲になることも絶対にない。ならば、桂さんのことは諦めるしかない。
そもそも攘夷志士と恋なんて、現実的じゃない。そう自分を納得させる。私はただのメイド喫茶で働く一般人であるし、剣を振るう侍と釣り合うかと言ったら釣り合わない。相手は指名手配もされているのだ。危険な目にも遭う可能性がある。
――なかったことにしよう。
私は最初から、桂さんに恋心なんて持っていない。そう思いこめば彼を想う時間がなくなって、私はぼんやりしなくなるし、会えない日々に焦れる気持ちもなくなる。
そうしようと決めたところで、ふと「ナマエ殿」と呼びかけられた。左を向いて、どきりと胸が鳴った。今考えていた人物が立っていた。
「か、桂さん……どうして私の名前を?」
「そこに書いてあるだろう」
胸元を指されて見れば、ナマエと書かれたバッチがあった。
「あ、なるほど……」
「そんな格好で外に立って、寒くないのか?」
心配するような口振りに、私は嬉しくなって微笑む。恋心を捨ててしまおうと思っていた数秒前の考えが、嘘のように消え、またささやかなぬくもりが湧いてくる。
「寒いです。でも桂さんが私を指名してくだされば、お店に入れます」
「ふむ。ならば指名しよう、来ると言って来れてなかったからな」
「ありがとうございます!」
桂さん待ってたんですよ、と言いながら店に入ろうとして「ナマエたん!」とまた声をかけられた。振り向いて、げ、と思う。私にガチ恋している客のひとりだった。
「ナマエたん、誰だいそいつ? 拙者を差し置いて一緒にあっち向いてホイしようってのかい?」
「こ、この人はお客さんだし、お金払ってくれれば誰とでもあっち向いてホイするよ……?」
「ナマエたんは誰とでもヤる尻軽だったのか!?」
火に油を注いでしまったらしい。その人はブチ切れて、リュックから徐にナイフを取りだした。
「な、ナイフ!?」
「ナマエたんは俺の……俺だけのものだァ!!」
「きゃっ」
桂さんへナイフを向けて走っていったその人は、悠々とナイフを落とされ地面に組み伏せられた。桂さんによって。
「は、離せ!!」
「恋をするのは勝手だが、その考えは自己中心的だな。だからモテないんだ」
「関係ないだろーが!」
「ナマエ殿、縛るものを」
「は、はい!」
店からロープを持ってくると、桂さんはその人の腕を縛り上げた。攘夷志士だし、党首だし、強いとは思っていたけれど、こんなに余裕で組み伏せてしまうとは。「よし、これでいいだろう」と桂さんは立ち上がり、ときめいている私に言った。
「警察が来ても俺のことは話さないでくれ……勝負はお預けだな、さらばだ!」
桂さんは颯爽と去っていった。ふと周りを見ると、皆なんだなんだとこの騒ぎを見ている。そうか、と腑に落ちた。注目されているから、桂さんは逃げたのだ。
やがてやって来た警察に騒動を話し、その人は逮捕された。桂さんの名前はもちろん出さなかった。その人も桂さんのことを知らなかったため、疑惑が向くこともなかった。
この事件をきっかけに、本気で私のことが好きなお客が怖くなってしまった。メイド喫茶に来る客には、もちろん普通に遊びを楽しむ人も多いけれど、中には私に好意を向けてくる人もいる。桂さんのような、関係のない人も巻き込まれてしまうので、のらりくらりとかわすだけではダメなのかもしれない。
かといって辞める勇気もなく、だらだらと1週間を過ごしていた頃、桂さんはお店を訪れてくれた。
「桂さん!」
「ナマエ殿……店長、ナマエ殿を指名で」
店長は目を丸くしていたけれど、「了解しました」と席を案内してくれた。桂さんと隣同士に座る。
「……桂さん、こないだはありがとうございました」
桂さんは切れ長の目を二、三度瞬きさせて言った。
「礼を言われるようなことはしていないが……」
「あのナイフ、もしかしたら私にも向けられるかもしれなかったので……何にせよ、桂さんが無事でよかった」
「俺はあんな刃でやられるような小物ではない」
「ふふ、強いんですね……さすが攘夷志士です」
「知っているのか?」
「そりゃあ、有名ですから……じゃあ、やりましょうか」
言って、じゃんけんをする。私が勝って、下を指せば桂さんは顔を俯けた。やはり桂さんは弱い。戦うことには強いのに、こんなお遊びには弱くなってしまう。
ぎゅっと目を瞑る桂さんが可愛くて、私は知らず知らずその頬を撫でた。目を開けた桂さんの瞳には、困惑の色が浮かんでいる。
「……ナマエ殿?」
「……今度は店の外で、あっち向いてホイやりませんか?」
精一杯の誘いだった。「お金もかかりませんよ」と囁くように言うと、桂さんはふっと笑った。
「……それはいい。こんなに優しく触れられると、変な気にもなるからな」
頬に置いた私の手の上に、桂さんの手が触れる。大きくて、細くて、ゴツゴツしている男の人の手。その手が頬から私の手を離したところで、店長がやってきた。
「ちょっとナマエちゃん、ちゃんと規定通りぶっ叩かなきゃダメでしょ!」
「すみません……」
「ナマエ殿は今日付けでここを辞める」
「えっ?」と店長と私の声が揃った。
「こんなところにいては、また変なやつに好かれるだけだ。ナマエ殿にとっては害でしかない」
立ち上がった桂さんは私の手を取ると、ピッと片手でポーズを取って店長に言った。
「バイビー」
駆け出した桂さんに、私もつられて走る形になる。店を出て、木枯らしの吹く街を走る。どこに行くのか。私は辞めてどうやって暮らすのか。何もわからなかったけれど、不思議と私の心は清々していた。もう私を縛るものはないのだという事実に、自然と笑みがこぼれてくる。
「桂さん」
「なんだ?」
「私、桂さんのこと、好きです!」
桂さんは前を向いたまま言った。
「知っている」
「……桂さんの返事は?」
「……俺の態度を見てわからんか?」
薄々わかってはいた。見ている限りきっとお堅い侍なのだろうし、どうしても直接的に好意を告げることはできないのだろう。
「ふふ、桂さん好きです!」
「……何度言うんだ、貴様は」
桂さんの耳がほんのり赤くなっていた。私はまた笑う。笑った瞬間、白い息が口からあらわれる。
一層冷たい風が吹いた。ミニ丈の着物だし、ニーハイは何の役にも立たないけれど、走っているからか、はたまたこの状況に胸が高鳴っているからか、寒さは感じなかった。