運命の人
窓からは午後の陽がこぼれ、店内はちょうどいい暖かさだった。客たちはプリンの作ったホットショコラや、チョコタルトを食べ、思い思いに談笑している。プリンはチョコレートを混ぜながら、その様子を微笑んで見つめた。
ここは春島のリコリス島。新世界にある小さな島だ。辺鄙なところにあるため、海賊も滅多に来ず、皆平和に過ごしている。プリンがここに来たのは半年前。黒ひげから逃れ、上陸した島がリコリス島だった。こうしてカフェをまた開店できたのも、島の人々のおかげだ。着の身着のままで逃げてきたプリンに、島民は訳も聞かず、ただ住むところを用意してくれた。第三の目もたぶん見たはずなのに、怯えることも罵ることもせず、優しくしてくれた。こんなに人に良くしてもらったことはなかった。彼らへの恩返しのために、プリンは再びカフェを開いた。
「プリンちゃん、美味しかったよ」
「いつもありがとう、セーラさん」
最後の客が出ていき、プリンは一息つく。紅茶でも淹れようかと、お湯を沸かそうとした。その時、扉が開き、新たな客が入ってきた。
「いらっしゃいま――」
プリンはポットを落としそうになった。そこに立っていたのは、鮮やかな金髪にぐるりとした眉を持つ――
「サンジ……さん!?」
「プリンちゃん……」
プリンの元婚約者であり、初恋の人だった。変わらないその姿にぶわっと顔に熱が集まる。
「な、なななんでここに!?」
「うちの船長がまた厄介事に首突っ込んでな、たまたまここに上陸したんだ。で、住人から『プリン』って名前の子がカフェを営んでるって聞いて……もしかしたらと思ったら……」
本当にプリンちゃんだったんだな、とサンジは嬉しそうに笑った。その笑みに、どきどきと心臓が音を立てる。どうしよう、とプリンは思った。もう諦めたはずなのに、またサンジを前にすると、どうしようもなく好きの感情が溢れてくる。
「座ってもいいかい?」
「い、いいわ……」
サンジは自分の近くの椅子に腰掛けた。リコリス島の自分のカフェに、サンジがいる。夢のようだった。また会えるだなんて、思ってもみなかった。
ぽーっとサンジを見つめていると、彼が隣の椅子を指して言った。
「プリンちゃんも座りなよ、色々話したいことがあるんだ」
「えっ!? そ、そそそんなに言うなら座ってあげてもいいわよ!」
相変わらず彼を前にすると、素直な自分になれない。もう少し柔らかく言えたでしょ、と自分を叱りながら、プリンはサンジの隣に座った。
それからプリンはサンジに質問されるがままに、今までの事を話した。黒ひげに攫われたこと、この島に逃げてきたこと、島民のおかげでカフェが開けたこと。
「……大変な思いをしてたんだな。ごめん、おれ、全然知らなかった」
「そんな、サンジ……さんが謝ることじゃないわ! 私はもう大丈夫だし……」
「プリンちゃん……」
「それより、サンジ……さんのことも話してよ! き、聞いてあげてもいいわよ!」
サンジは麦わらの一味と色々な島に行っているようだった。その冒険譚にプリンはわくわくした。サンジとその仲間たちとともに冒険できたらどんなに楽しいだろう。そんな考えが浮かんだが、プリンはすぐにかき消した。黒ひげから逃れられ、今はこの島民に優しくしてもらっている。これ以上何を望むのか。
「それでルフィが――……って、プリンちゃん?」
いつの間にか暗い顔をしていたらしい。顔をのぞき込まれ、プリンは思わず仰け反る。
「な、何!?」
「いや、ちょっと暗い顔してたから……大丈夫かい?」
「だ、大丈夫、大丈夫よ!!」
前は演技できていたはずなのに、今は素直に生きているおかげか、感情がすぐ顔に出るようになってしまった。
「ならいいが」とサンジは顔を戻し、プリンは内心ほっと息をつく。
「……おれ、プリンちゃんに聞きてェことがあったんだ」
サンジは急に真剣な声音で言った。
「最後のお願いがあるって言って、でもプリンちゃんは何もせず走っていったろう? おれ、あれから考えたんだが――」
プリンの心臓はばくばくと音を立てた。
「――もし、違ったら悪ィんだが……プリンちゃん、あの時もしかしておれにキスした……?」
「!?」
動揺を隠してすました顔をしなければならないのに、プリンの顔にどんどん熱が集まってくる。
「な、なななななんでそう思うの!?」
「吸ってたはずのタバコが落ちてたし、唇にも何となく感触があったんだ」
プリンは恥ずかしさのあまり何も言えなかった。沈黙は肯定になると知っていても、反論するための口が開かなかった。
「プリンちゃん……」
ぎゅっとサンジに抱き寄せられる。最初はどういう状況かわからなかったが、サンジに抱きしめられている、と自覚すると体全体が心臓になったかのように鼓動した。
「おれ、嬉しかったんだ。プリンちゃんがおれを想ってくれてたことも、全部――」
「だから」とサンジは耳元で囁く。
「今度はおれから、最後のお願い、してもいいかい?」
プリンはもう、しおらしく頷くしかなかった。
そっと離されたが、間近にあるであろう彼の顔を見ることもできず目をぎゅっと閉じる。そんな自分にふっとサンジが笑ったのを感じる。そして――唇が合わさった。
サンジはそれから、毎日プリンの元を訪れるようになった。プリンは彼を受け入れ、そのうち唇だけでなく体も重ねるようになった。サンジは「好きだよ」とか「愛してる」と言って、優しく優しく自分を抱いた。プリンは彼に溺れながらも、頭の隅ではまたお別れする運命なのだとわかっていた。自分と違って、サンジには夢がある。彼を待つ仲間もいる。それを邪魔する権利などないのだと。
その日は朝から雨が降っていた。春島らしい柔らかい雨だ。プリンはお客のいない店内で、ぼんやりと外を眺めていた。今日はログポースが溜まって、彼らが出航する日だ。見送りに来て、とも言われておらず、自分は所詮その程度だったのだと自嘲する。せめて、最後のキスくらいはしておきたかった――。
「プリンちゃん!」
突然ドアが大きく開いた。雨に濡れるサンジが立っていた。
「サンジ……さん!?」
「ちょっとごめんよ」
何を、という前に体が浮いた。サンジにお姫様のように抱えられていた。そのまま外に連れ出され、坂道を駆けていく。
「な、どこに行くの!?」
「おれたちの船さ。君をここから連れていくんだ……ごめん、濡れちまって。でも急いでるんだ」
とん、と大きく飛び上がったかと思えば、サンジは麦わらの一味の船に綺麗に着地した。
「おっ、プリン!?」
「あら」
「ヨホホホ、そういうことだったんですね!」
ルフィを含めた仲間達が一斉にこちらを見る。訳が分からず放心するプリンを下ろし、サンジは申し訳なさそうに言った。
「手荒な真似してごめん、けどおれはプリンちゃんと一緒に冒険したかったんだ……もしこの島にいたかったら――」
「私も……!」
プリンは彼の言葉を遮った。
「私も、サンジさんと一緒にいたかった……!!」
「プリンちゃん……!!」
互いに抱きしめ合う。ヒューヒューと周りから囃されて、顔に熱が集まる。そっとサンジを見れば、彼もまた恥ずかしそうな顔をしていた。それがかわいくて、笑みがこぼれる。彼もまた笑った。プリンの好きなサンジの表情。ホールケーキ城でプロポーズしてくれた時の、切羽詰まったような顔より、断然こちらの方がいい。
プリンは彼の耳元でそっと囁いた。
「大好きよ、私の運命の人」