魅上検事の事件簿

 1

 京都地検刑事部の一室には、キーボードをたたく音と紙をめくる音だけがしていた。
 報告書を作成している検事事務官の中島は、目の疲れを感じ、パソコンから視線を上げた。ブラインドが開けられた窓の外には、一一月の透き通った青空が見える。良い天気だ。向かいに座る検事に視線を移せば、彼は午後から取り調べを行う被疑者の一件記録を読んでいた。検事の名前は、魅上照。一年ほど前に東京地検から京都地検に異動してきた若い検事だ。長い黒髪と眼鏡の下の切れ長の目。美形な彼に、異動してきた当初はアプローチする女性も少なくなかったが、彼が仕事にしか興味がないことがわかると、波のようにさあっと彼女たちは手を引いた。彼の事務官を割り当てられた中島も、彼と同じく仕事第一の人間で、魅上を美形だとは思うが恋愛感情はまったく抱いていなかった。もったいない、と周りの女性は嘆くが、仕事は仕事。私情を挟むなどとんでもないことだと中島は思う。
 さて、仕事をしなければと、再度パソコンの画面に目を移したとき、魅上が顔を上げた。
「中島君」
 はい、と返事をし、立ち上がって魅上の机に向かう。
「どうかされましたか?」
「これを読んでいて、少し気になる点があるんだが」
 差し出された一件記録に、中島も目を通す。
 七目丸正一、四五歳。職業、工事現場作業員。一昨年から京都市で発生している、一九件の連続放火事件の被疑者。過去にも放火で家裁審判を受けている。家宅捜索したところ、パソコンや一眼レフから事件現場の火災の写真が多数押収されている。中には出火直後の写真もあり、取り調べでは放火したことを認めている。しかし――。
「一三件目の放火殺人については否定している……?」
「ああ。この記録を読むと、一三件目以外は使われていないガレージやバイクが放火の対象だが、一三件目のみ人の住んでいる家を狙っている。そして……女性一人が焼死している。午後から詳しく聞こう」
「はい」
 七目丸正一は、俯き加減に取調室に座っていた。魅上たちが部屋に入ると、彼はびくりと体を震わせた。魅上は七目丸の向かいに、中島は記録係として斜め向かいに座り、パソコンを開いた。魅上が腕時計を確認する。
「午後一時三〇分。被疑者、七目丸正一の取り調べを始める」
 魅上は一件ずつ、七目丸の行ったことを確認した。彼はうつむいてぼそぼそと自供した。学生の頃から物が燃えている様をみるのが好きだったこと、職場環境になじめず、ストレス解消の一環として火をつけていたこと。しかし、一三件目はやはり否定した。
「俺はその家に火をつけたことなんてないし、殺人もしていない!」
「あくまで物を燃やすだけだったのか?」
「そうだ、わざと人のいないところを狙っていた。殺人なんかしていない」
 取り調べが終わると、魅上に尋ねられた。
「今日は一六時から空きがあったか?」
「はい、少しですが……どちらに行かれるのです?」
 中島には魅上が放火事件の捜査に行くことがわかっていた。案の定、彼は言った。
「放火殺人のあった家にだ。住所は控えてあるか?」
 念のため放火殺人の起こった家の住所は手帳に控えていた。はい、と返事すると魅上は満足げに頷いた。
「では一六時に」
 その家は、京都市の中心部にあった。家はビニールシートに覆われ、所々燃えた木の残骸が見える。家を囲うようにある庭も、若干煤で汚れている。
 門の前に立った魅上は、独り言のようにつぶやいた。
「家に火をつけるには、中に入るしかないのか――」
 確かに、庭に入って火をつけなければ家は燃えない。無差別に火をつけるなら、この家は選ばないだろう。七目丸と違う犯人が、狙ってこの家に火をつけた可能性は高い。
 魅上はちょうど通りかかった、散歩中の高齢男性に声をかけた。
「すみません、京都地検から来た魅上と申しますが、ここで起きた事件について、お話を伺ってもよろしいですか?」
「京都地検?」
 男性は胡散臭そうにこちらを見たが、魅上のジャケットにつけられた、秋霜烈日のバッチに気づいたらしく、やや緊張気味に頷いた。
「答えられる範囲なら……」
「ありがとうございます。この辺で、不審な人物を見かけたりしたことはありますか?」
「不審な人物ねえ……」
 男性はうなっていたが、やがて、あっ、と声を上げた。
「夕方くらいに、この家の前に女の人がたたずんでいることがあったよ」
「……どんな女性でしたか?」
 中島は手帳とペンを用意した。男性は応えた。
「髪は黒くてショートカットの、色の白い人だったなあ。背は女性にしては高い方で……」
「その女性は、ここでただ立っていたんですか?」
「ああ、そこの木陰でじっとこの家を見ていたよ。何か思い詰めたような感じで、声をかけようとしたんだけど、こっちに気づいたらすぐに行っちゃった」
「去っていったのは向こうの方ですか?」
 魅上が後ろを指す。
「ああ、そっちだね」
 それから魅上は二、三言質問し、最後に男性に頭を下げた。
「貴重なお時間を割いていただき、ありがとうございました」
 同じく中島も頭を下げる。男性は軽く手を振り、再び歩き出した。魅上は呟くように言った。
「女性か……気になるな。何か恨まれるようなことを、亡くなった女性はしていたんだろうか」
 中島は頷き、口を開いた。
「女性同士の恨みもあると思います。一番考えられるのは男女関係での恨みではないでしょうか」
「男女関係の縺れ、か……あり得るな。亡くなった女性の身辺を洗ってみよう」
「わかりました」

 警察へ情報の照会を行い、以下のことがわかった。
 亡くなった女性の名前は丸山リカ。二〇歳。市内の大学に通う女子大学生だった。父、母、妹と住む四人家族。事件当日、丸山の父と母は旅行でおらず、また妹も友人宅へ泊まっている。犯人は、丸山リカが一人でいるところを狙って火をつけたとみて間違いない。
「そうすると、やはり丸山リカに恨みがあり、且つ丸山リカの行動を知る近しい人物が犯人か……丸山リカと親しい友人は半沢百合子……一度話を聞いてみよう」
 魅上は一つの事件をとことん追及する質だ。本来なら警察の上げた被疑者の話を聞き取り、罰を与えるのが検事の仕事であるが、魅上の場合は少しでも疑いがあれば警察のように真実を追究する。そして必ず真実を突き止めることができる。もちろん警察が良い顔をすることはなく、基本的に魅上に非協力的である。しかし、彼の正義のために協力してくれる警察官も少数だがいる。丸山リカの情報は、魅上と交流のある模木という警察官が流してくれた。彼には頭が上がらない、と魅上も言っている。
 丸山リカの通う大学は京土大学だった。関西では一番頭の良い大学である。レンガ造りの洒落た校舎を臨み、魅上は「懐かしいな」と呟いた。
「魅上検事も京土大学出身で?」
「ああ、ここの法学部だった」
 魅上に続いてキャンパスへ入る。警備員には事前に話を通してあったため、止められることなく入ることができた。構内は広く、大学生たちが各々のんびりと過ごしている。
「……広いですね。どうやって半沢百合子を探すんです?」
「実はもう連絡は取れている。模木さんから彼女の連絡先を聞いたんだ」
 魅上によれば、ある空き教室で彼女と待ち合わせているらしい。よく話に応じたなと思えば、半沢は丸山リカの事件を明らかにしたいという思いが強いようで、すぐに承諾してくれたそうだ。
 その教室へ向かおうと校舎に入る手前で、ふと声をかけられた。
「……検事さん、ですか?」
 声のした方を見ると、そこには風変わりな青年がいた。まず目に付くのは真っ黒な隈、そして黒い髪。鼻は高く、また顎は細いため日本人ではない印象を受ける。彼はベンチの上にしゃがみこんでいた。そのエキセントリックな見た目に、中島は何も言えず固まってしまった。中島の常識の範囲外だ。
「ああ、そうだ。君はここの学生か?」
 ところが魅上にとってはそうではないらしく、普通に受け答えをした。青年は流ちょうな日本語を話した。
「何か、事件でもあったんですか?」
「関係する人物がここにいてな……それ以上は何も教えられん」
 基本的に事件に関することは一切口外禁止だ。青年はそれ以上聞かず、「そうですか」と言って再び本を読み始めた。興味があるのかないのか、よくわからない。
 気を取り直して校舎へ入り、待ち合わせている空き教室へ入る。そこには二〇歳前後の若い女性が椅子に座っていた。からりと扉が開く音で、こちらを振り返る。その目には先ほどの青年ほどではないが、隈がうっすらと浮かんでいた。
「こんにちは、魅上と申します」
「中島と申します」
 挨拶をすれば、彼女は立ち上がりお辞儀をした。
「……半沢百合子と申します」
 その声は細く、丸山リカの死のショックから立ち直っていないことを伺わせた。
 三人で椅子に座り、早速魅上が質問する。
「……まず、調査にご協力頂けることに感謝いたします。なぜ、この大学内を指定されたのですか?」
 通常、参考人と話す際は魅上の事務室で話す。しかし半沢はそれを嫌がり、この大学内を指定してきた。半沢は伏し目がちに答えた。
「検事さんたちに、ぜひ会わせたい人がいるんです。ただその人にあなたたちが検事だと悟られたくはないので、会わせると言うか、盗み見て欲しいのですが……」
「……なるほど」
 魅上は頷いた。その人物は、事件に関係しているかもしれない怪しい人物ということだ。
「その人物はなぜこの事件に関わっていると思うのですか?」
 半沢は目を上げた。中島ははっとした。その目には怒りが込められていた。
「リカは、その人と付き合ってたんです。その人は、何人もの人と付き合っていると噂の人で……私は何度もリカに、付き合うのをやめろと言ったんです。リカはそのことでよく泣いていたから……けれどやめなかった。そして取り返しの付かないことに――」
 半沢は涙声でそう訴えた。魅上は言った。
「なぜ、その人が事件と関係していると思ったんですか?」
「なぜって……わかるでしょう? 女性たちからの恨み、ただそれだけですよ」
「それだけなら、他に付き合っている女性もいるでしょう。なぜ丸山さんだけが犠牲になったのでしょうか?」
「それは……知りません……」
 半沢の声には自信のなさが表れていた。
「念のため、その人物の名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「はい……夜神月――夜の神に、月と書いてライトと読みます」
 中島は手帳にその名を綴った。魅上はちらとこちらを見て、それから半沢と対峙した。
「夜神月、ですね……話は変わりますが、ショートカットの黒髪の、背の高い女性に覚えはありますか?」
「……あります」
 中島は半沢を見た。まさか、覚えがあるとは思わなかった。
「彼女もまた、夜神月の恋人です。ミス・京土大学にも選ばれた才女……高田清美は、黒髪のショートカットで、背の高い女性です」
「わかりました……情報提供をありがとうございます」
 それから立ち上がり、挨拶して半沢と別れた。
「……夜神月は見ていきますか?」
 半沢は最後に、夜神月はこの校舎にいると言っていた。何が何でも夜神月を見せたいようだった。親友を殺された身として、彼を間接的な犯人にさせたいのだろう。
「いや、見ない」
 魅上はあっさりと答えた。中島は予想していた答えにほっとする。
「一度戻ろう。話を整理する」

 
 2

 一週間後、夜神月と高田清美の情報を手に入れた。警察が開示してくれるはずもなく、魅上が探偵に依頼したのだった。もちろん自腹だ。彼は正義を貫くためなら手段を選ばない。
 二人についてわかったことを以下に述べる。
 まず夜神月。一九歳。京土大学経済学部。有名な進学校出身。警察庁刑事局局長の父と、専業主婦の母、中学生の妹を持つ。実家暮らし。探偵曰く、頭が良く人気者で、眉目秀麗。スポーツもそつなくこなす。中学時代にテニスのジュニア大会で優勝したようだ。将来有望な若者というイメージか。複数の女性と付き合っていることは確認されていない。
 そして高田清美。一九歳。夜神月と同じ経済学部である。父、母と三人家族。アパートで一人暮らしをしている。こちらも頭が良く、且つ美人で、その美貌からミス・京大に選ばれたこともある。取っ付きにくい性格をしているためか、友人は少ない。夜神月と二人でいるところも目撃されている。周りからは「清楚高田」と言われている。
「……まずは高田清美と会ってみるか」
 魅上は現場にいた女性と特徴が近い高田清美と会うことにしたようだ。大学近くの喫茶店で待ち合わせる。事務室に呼ぶほど、この事件に高田が関わっているかわからないためだ。高田清美は、確かに黒髪のショートカットの女性だった。
「……こんにちは。検事の魅上です」
 席に座っていた彼女に声をかける。立ち上がった彼女は背が高かった。
「こんにちは、高田清美です……こちらの方は?」
「事務官の中島と申します。よろしくお願いいたします」
 中島は丁寧に挨拶する。高田もお辞儀を返し、席に着いた。
「……お伺いしたいのは、先日の丸山リカさんが焼死した件です。この事件はご存知ですか?」
「ええ、ニュースで知りました……同じ大学の同級生が亡くなったということが、ショックでした」
 高田は伏し目がちに答えた。
「丸山リカさんとはお知り合いではなかったのですか?」
「知ってはいましたが、実際に話すことはなく……今思えば、もっと話すべきだったと思っています」
「それはなぜ、そう思うのですか?」
「……丸山さんは、自分を夜神くんの彼女だと思い込んでいました。なので、それは違うと否定してあげれば……夜神くんを好きな誰かに殺されることはなかったのだと思います」
 中島のペンが止まる。高田は何を言っているのだろう。魅上はしばし無言になり、それから言った。
「丸山さんは、夜神さんの彼女ではなかったのですか?」
「はい。丸山さんは夜神くんと全く関わりがありません。ただ彼女がそう思い込んでいただけです」
 中島は魅上と目を合わせた。高田の発言が正しければ、半沢の証言も揺らぐ。ただ、半沢が本当に丸山を夜神の彼女と信じていたという線もある。魅上は高田と向き合った。
「……なぜ丸山さんがそう思い込んでいたとわかるんですか?」
「彼女の態度を見ればわかります。いつも夜神くんの後を付けて、彼の言葉に一喜一憂してましたから。夜神くんのストーカーとして彼女は有名でした」
「それは、彼女の友達である半沢百合子さんもご存知だったんでしょうか?」
「知っていたはずです……一度食堂で二人の会話を聞いたことがあります。夜神くんと何があった、などと空想を述べる彼女に、半沢さんは苦笑いしてましたから。なぜ丸山さんと一緒にいるのか、私にはわかりませんでした」
「……そうでしたか」
 半沢が丸山を夜神の彼女と信じていたという線は消えた。半沢は嘘をついていたのだ。
「……話は変わりますが、事件前、丸山さんの家の周辺で黒髪のショートカットで背の高い女性が目撃されています。半沢さんに聞けば高田さんじゃないかと言われましたが、覚えはありますか?」
 魅上がそう話すと、高田は顔色を変えた。それまで余裕のある表情だったのが、今は緊張が走っていた。
「……いえ、ありません。その目撃情報は誰から聞きました? 弥さんですか?」
「現場の近所の男性から聞きました」
 魅上がそう答えると、高田は「そうですか」と安堵の表情を浮かべた。
「弥さんとはどなたか、聞いてもよろしいでしょうか?」
「……夜神くんに好意を寄せる女性の一人です。私にも敵意を向けてきて……困っています」
「その方のフルネームは?」
「弥海砂。弥生の弥に海の砂と書きます」
 手帳に書く。夜神月と同じく珍しい名前だ。
「あの……そろそろ授業なので行ってもいいですか?」
 高田はそう言って急に立ち上がった。魅上は驚いたようだったが、頷いた。
「ええ、大丈夫です。御協力ありがとうございました」
 高田は扉のベルを鳴らして去っていった。
「……何かあるようでしたね」
 中島は魅上に声をかける。魅上は眼鏡を外し、メガネ拭きで拭き始めた。
「ああ、隠していることがありそうだ……」
「また半沢さんに話を聞いてみますか?」
 もう一度半沢の証言を聞いた方がいいと思いそう言うと、魅上は予想外にも首を振った。
「いや、弥海砂の証言を聞こう。証言は多い方がいい」

 弥海砂との対面は、地検の近くにある古い喫茶店で行われた。現れた彼女は背が小さかったが、身につけている服といい、顔の可愛さといい、オーラがあった。それもそのはず、彼女はミサという名前でモデルを中心に活躍している芸能人である。
「こんにちは! あなたが検事さん?」
「はい。魅上と申します。こちらは事務官の中島です」
「よろしくお願いいたします」
「よろしくお願いしま〜す」
 彼女の溌剌とした雰囲気に圧倒される。元気いっぱいの若者という印象だ。
「ここ、何か頼んでいいんですか?」
「ええ、私が持ちますのでどうぞ」
「やった。じゃあメロンクリームソーダで!」
 早速弥は店員に注文する。それが来たところで、魅上は本題に入った。
「……弥さん、丸山リカさんをご存知ですか?」
 弥はアイスを掬いながら首を傾げた。
「丸山リカ? 知らないですねえ」
「そうですか……夜神月さんは知っていますか?」
「そりゃあ、もう、すごく知ってます!」
 弥は目を輝かせながら話した。
「頭が良くて、かっこよくて、スポーツもできて……大好きです! ライトくらい『できる』男は今まで会ったことありません!」
「つかぬことをお聞きしますが……弥さんは、夜神さんの彼女ですか?」
 これは気になっていたことだった。半沢の話通り、夜神月が複数人と付き合っていたとしたら、弥とも付き合っている可能性が高い。しかし、予想に反して弥はがくりと肩を下げ首を振った。
「……いえ、付き合ってはいません。何度も何度もアプローチしてるんですが、ライトは一度もミサの告白を受け入れてくれません……! 検事さん、どうしたらいいですか?」
 なぜかこちらに解決策を聞かれる。魅上はスルーすることに決めたらしかった。
「高田清美さんはご存知ですか?」
 弥はその名を聞き、嫌そうに目を細めた。
「ああ、知ってます……ライトと大学が同じで何となーく親しいことはわかります」
「高田さんは弥さんから敵意を向けられていると言ってましたが……」
「うーん、そんなつもりはないけど、そう捉えられちゃったんでしょ! ほら、自意識過剰な人っているから……」
 やあねえ、と言うように弥は話した。弥は確かに高田に敵意を向けているが、丸山リカを知らないし、この事件とは関係がなさそうだ。魅上もそう判断したらしく、弥がソーダを飲み終わるのを待ち、解散した。
「……こうなると、夜神月本人から話を聞くべきだな」
「そうですね……夜神月が何か知っていれば――」
 半沢も高田も言っていることが怪しい。丸山リカに関する人物は二人とその家族を除いて夜神月しかいない。

 夜神月との面会は、すぐにはできなかった。何せ魅上は検事である。毎日被疑者を聴取し、法で裁いている。その忙しさは尋常ではない。事務官である中島もサポートしているが、時には午前零時を回ることもある。
 ようやく夜神月と対峙できたのは、事件からひと月が過ぎた頃だった。
 弥と話した喫茶店に、その青年は現れた。すらりとしたスタイル、整った顔、スマートな立ち振る舞い。なるほど、弥や高田が惚れるのもわかる。夜神月は美青年だった。
「はじめまして、夜神月です」
「はじめまして、検事の魅上です」
「事務官の中島です」
 挨拶をし、座る。
「何か頼まれますか?」
「では……コーヒーを」
 彼は我々と同じものを注文した。コーヒーがテーブルに置かれる。それを夜神が一口飲んだところで魅上が切り出した。
「夜神さんは、丸山リカさんをご存知ですか?」
 途端、夜神の顔が辛そうに歪んだ。
「もちろん……知ってます。知りすぎるほどに、知ってます……」
 知りすぎるほどに知っている? 中島の疑問は、次の瞬間明らかにされた。
「彼女は……丸山リカは、僕の彼女でした」

 
 3

 夜神の話はこうだった。
 夜神は丸山リカと付き合っていた。他に付き合っている女性はいない。高田清美も弥海砂も知り合いだがそういう関係ではない。大学に入って丸山としか付き合っていない。
 丸山は同じサークルに入っており、親しくなった。約一年付き合っていた。彼女が亡くなったことにはかなりのショックを受けている。そろそろ両親にも紹介しようと思っていたところだった。それほどまでに将来を考えていた女性だった。
 頭を抱えて話す彼の口調は苦痛と悲しみに満ちていて、これが演技だとは思えなかった。
「魅上さん、僕もその捜査に協力させてくれませんか? もともとあの放火魔が殺したとは僕も思えなかったんです。お願いです……真実を明らかにさせたいんです」
 夜神は今まで父が警察官であることから、捜査に協力してきた過去がある。ちらと魅上を見れば、彼は意志を固めたようだった。
「……いいでしょう。今までの人々の証言をお話ししましょう」
 魅上は順を追って話した。放火魔の証言、半沢・高田・弥の話、そして今の夜神の話から見えてきたことを。夜神は思いのほか落ち着いて聞いていた。
「半沢さんと高田さんはそう言っていたんですね……」
「はい。もう一度半沢さんと高田さんに話を聞いてみようと思ってます」
「そうですね、それがいいかと……これは僕の推理ですが」
 夜神は言った。
「僕は、半沢さんが犯人である可能性が高いと思っています」
「それは、なぜ?」
「彼女は僕が複数人と付き合っていて、その女性の一人に殺されたのだと主張しました。そうして自分に疑われないようにしたんだと思います。あくまで、推測ですが……」
「確かに、そう捉えることもできますね……」
 魅上は頷いた。
「ただ、先に高田さんに話を聞きます。なぜ丸山さんは夜神さんと付き合っていないという嘘をついたのか、そしてなぜ丸山さんの家の近くをうろついていたのか、明らかにする必要があります」
「そうですね……詳細がわかったら僕にご一報ください」
「わかりました。今日はありがとうございました」
 挨拶して話を終える。夜神はお辞儀をして去って行った。その背中はどこか寂しげに見える。
「まさか、夜神さんが丸山さんの彼氏だったとは。驚きました……」
「そうだな。高田の話が変わってくる……そろそろ真実にたどり着けそうだ」
「そうですね」
 検事は捜査権を持っているが、基本的に警察に任せているため、捜査は滅多にしない。ただこうして真実が明らかになっていく過程は、いつもの仕事よりも興奮がある。中島は魅上の捜査にも度々携わることがあるが、その興奮を押さえることは難しかった。

 高田との二度目の対話はそれからすぐに行われた。夜神から聞いたことを述べるも、高田は余裕のある表情を崩さなかった。
「……そうですか。夜神くんがそう言ったのですね」
「はい……なぜ丸山さんが夜神さんの彼女ではないという嘘をついたのですか?」
「……検事さんたちの前で、夜神くんの彼女として振る舞いたかったんです。すみません、私のエゴです」
 高田はあっさりと白状した。それほどまでに夜神を好いているということか。私的な対話だったから許されたものの、いつもの聴取であれば許されない。魅上は言った。
「では、丸山さんの家の近くにいた理由は?」
「単純にうらやましかったんです。だから、彼女の魅力を知りたいと思い家にまで……今考えるとどうかしてますね、私」
 高田は苦笑する。恋というのは恐ろしいものである。
「丸山さんの家の付近で、何か気になったことはありましたか?」
「いえ、特には……」
「そうですか」
 高田からはそれ以上丸山リカについて聞き出すことはできなかった。本当に会話もしたことがない赤の他人のようだった。反面、高田の心は彼女への嫉妬に狂っていたのだ。
「……ところで、一一月二一日、午後一〇時過ぎは何をされてましたか?」
 魅上は念のためアリバイを聞くことにしたらしい。高田はこう答えた。
「実家にいました……私の両親がアリバイを証明してくれるはずです」
「わかりました」
 夜神が犯人ではないか、と推理した半沢は、これまで高田や夜神から聞いた話を述べると少しうろたえたようだったが、語気を強くしてこう言った。
「……夜神くんは嘘をついてます。私はリカが夜神くんの女性関係に悩んで泣いているのを何度も見てきました。リカを殺したのはきっと、高田清美でしょう。リカの家にまで行っていた……殺す機会を粛々と狙っていたはずです」
「……高田さんのアリバイは、彼女の両親から立証されています。半沢さん」
 魅上は両手を目の前で組んだ。半沢に少し身を乗り出すかたちだ。
「あなたの言い分である『夜神さんが複数の女性と関係を持っている』というのは、すでに嘘だと判明しています。私は大学の生徒たちにも聞き取りを行いました。夜神さんが他の女性と話しているところは見たことがあるけれど、丸山さん以外と付き合っているとは聞いたことがない、という回答を得ました。半沢さん、なぜこのような嘘をついたんです?」
 半沢はうつむいた。魅上は構わず続ける。
「私はこう思いました。何か半沢さんにそうでなければ不都合な事実があって、それを隠すために嘘をついたのだと……半沢さん、一一月二一日の午後一〇時過ぎは何をされていましたか?」
「…………」
 半沢は無言だった。それはもう認めたということだ。
「半沢さん、我々とともに京都地検へ来てください。聴取を行います」

 
 4

 半沢は罪を認めた。丸山リカを殺した真犯人が逮捕されたのだった。動機は半沢も夜神を好いていて、彼女である丸山が憎らしかったから、という単純な理由だった。夜神を好く女性は一癖も二癖もあるらしい。
 部屋の窓の外は冬らしい、透きとおった青空が続いている。半沢の報告書を打つ手を止め、中島は向かいの魅上に言った。
「……魅上検事」
 魅上は書類から目を上げずに答えた。
「なんだ?」
「モテる男性は大変ですね……」
「……そうだな」
 返答はしてくれたが、会話に集中していないような声だった。完全に仕事に集中している声だ。魅上も夜神のように眉目秀麗だが、夜神のように女性と付き合うより、仕事一筋で恋愛関係には興味がないほうがトラブルがなくていいのかもしれない。そう中島は思った。