Lはドアの向こうから聞こえた6という数字に、初めて合意した。
 4月から10月までの6ヶ月。それでも長いくらいである。しかし、最初に提示された数字よりはマシだ。同い年の子供(Lもまた子供だと自覚している)に囲まれて一年を過ごすなど真っ平だった。
 吸収する知識などもう限られているだろうし、授業が為になるとは思えない。何故今更学校などに入らなければならないのか。
 自分を説得するワタリに疑問をぶつければ、彼はこう言った。知識ではなく、人との関わり方を知って欲しいのだと。

「L、私は捜査を抜きにした繋がりを知ってほしいのです。あなたがハウスで築けなかった、純粋な関わり方を」

 数日こもっていればワタリも諦めるだろうと思っていたが、意外にも彼は粘り、意見を変えようとしなかった。
 外に置かれた菓子類を口にせずとも、飢えを感じはしない。ただ、体を洗えないことが、綺麗好きのLを悩ませた。
 汚れていく体にどうにも耐え切れなくなった彼は、多くの条件をワタリに飲ませた後、一ヶ月ぶりにドアノブを回したのだった。

.
.
.


「止め」

 監督教師の合図とともに魔の二日間は終わった。教室内は解放された生徒たちの安堵と不安のざわめきで一杯になる。
 ナナはペンを片づけ、ぐっと丸めていた背中を伸ばした。それなりに手ごたえはある、ミスしてなければいいけれど。あれとかこれとかそれとか…やめよう、考えるほど不安になる。
 自分の席に戻り隣を見れば、竜崎はもう帰る気なのか立ち上がっていた。ショートホームルームの存在を、彼は知らないんじゃないかと思う。

「竜崎は……いいや、聞かないでおこう…」

 テストがどうだったか聞こうとしたけれど、自分が落ち込みそうなのでやめる。

「何ですか?」
「何でも。帰るならシャーペン返してね」
「ああ、ありがとうございました」

 竜崎からペンを受け取る。いつも手ぶらで来る彼は、テスト日である今日も筆記用具を持って来ず、ナナからシャーペンを借りていた。

「で、テストはどうでしたか?」
「う……それなりにできたよ…」
「じゃあ一位ですね」
「な、何でそうなるの!」
「私が教えたんです。それくらいとれて当たり前です」
「………」

 凄い自信だ。
 そう言われると彼の期待に応えられたかどうか不安になってきてしまう。

「…大丈夫ですよ、回答を見る限り当たってましたから」
「え…?」

 顔を上げるナナに、竜崎は口角をあげると、それではと言って教室を去って行った。
 彼なりの優しさなのか、それとも視力が良くて本当に見えたのか。
 ナナにはよくわからなかったが、気持ちが楽になったのは本当だった。





 ホームルームが終わり、皆がそれぞれ終わったから遊ぼうなどと騒いでいる中、ナナは部活へ行こうと鞄を持った。こういう時、帰宅部が羨ましくなる。
 ラケットを肩に掛けたところで、「…ナナちゃん」と遠慮がちに自分を呼ぶ声がした。振り返れば、おかっぱ眼鏡が特徴の京子が、浮かない顔をして立っている。

「ああ、京子ちゃん。どうしたの?」
「うーんと…その…」

 聞いても言葉を濁すばかりでなかなか答えようとせず、おしゃべりな彼女らしくない。

「…京子ちゃん?」
「あのっ!!」
「!」

 突然大声を出した京子に、ビクッと体を震わせる。

「……竜崎くんとナナちゃんって付き合ってるの?」
「えっ!?」

 今度はナナが大声を出す番だった。

「いやいや、何でそうなるの…?」
「だって、二人とも仲良いし、この一週間いつも二人でいたし…」
「それは勉強教えてもらってただけだし、付き合ってなんかないよ」
「…ホントに?」
「ホントに」
「よかったー…」

 (よかった?)

 胸に手を起き、ほっとしたように息をつく京子を、ナナは不思議に思う。そして、ある考えが浮かんできた。

 (いやいや、それは…まさか……)

 考え込むナナに、京子は決定的な一言を言い放った。

「じゃあ、竜崎くんのメアドとか知ってる?」
「! ごめん、知らない」
「そっかー、残念…」

 本当に残念そうに肩を落とす彼女に、ナナは驚きを隠せない。京子は竜崎が好きなのか。少し子供っぽくて変わっている彼を、ナナはあまり異性として見ていなかった。

「そうだ、ナナちゃんがアドレス聞いて、それを私に教えてくれないかな…?」
「……わたしが?」

 竜崎がメールを打っているところを見たことがないし、アドレスも教えてくれるかわからない。しかし京子の期待に満ちた眼差しを向けられると拒否できず、戸惑いながらもナナは応えた。

「うーん…聞けたらね」





 数日後。
 魔の中間テストが終わり、戦いが終わった皆の表情は晴れやかだったが、結果が貼り出されてるぞ!と誰かが言った言葉に、サッと緊張の色が浮かぶ。ナナも例外ではなく、粧裕と共にゆっくり立ち上がり、ドキドキしながら廊下へ向かった。
 掲示板にはすっかり人だかりができている。こんなもんかとすぐ戻る人がいれば、喜んだり、悲しんだりしている人もいた。自分もその中のひとりとなるかもしれないと怖じ気づいたナナは、粧裕に言う。

「ね、わたしの代わりに見てきてよ…」
「ダメよ、結果は自分で確認しないと」
「あ、ちょっと」

 腕を捕まれぐいぐい人を避けながら、強引に貼り紙の前まで連れてこられたナナは、もう逃げられないと察し、意を決して自分の番号を探し始めた。 十、九、八、七、六…と下から上に辿っていく。三位に入ってないことを確認して、十位以内にもなれなかったか、と悲しくなったその時、一緒に見ていた粧裕 がバッと上を指差した。

ナナ! 凄い、一位じゃない!」
「え?」

 粧裕の指差すところを見ると、確かに自分の番号と点数が。同率一位にもうひとつの番号もある。

「え、うそ、え、え…?」
「おめでとう!!」

 呆然と立ち尽くすナナに、粧裕が笑いながら飛び付いてくる。
 本当に一位を取ったんだろうか。それも、全教科満点で。
 どうにも実感が湧かず、ナナは自分のことのように喜んでくれる親友の腕の中でされるがままになっていた。そんな彼女を助けてくれたのは、掲示板を見に来た竜崎だった。

「…夜神さん、ナナさんが潰れてしまいます」
「あ、竜崎君聞いて、ナナ一位取ったの!」

 ぬっと現れた人物に、粧裕が振り向いてそう伝えれば、彼は驚きもせず当然のように頷く。そして、未だに信じられない気持ちで掲示を見つめているナナに、薄く笑みを浮かべて言った。

ナナさん、よく頑張りました」

 ナナは話しかけられてやっと彼の存在に気付き、ゆるゆると笑みを返す。

「…ありがとう」



 その日の放課後、ナナは約束を守るため、竜崎を連れ電車で『西風庵』へ向かった。
 粧裕も行きたがったが、彼女の所属する女子バレー部はサボり厳禁の厳しい部活だったため、お金だけを預かってきた。最初は言い出しっぺは自分なのだし、少ししかないけど沢山食べてきて欲しいと言ってきたが、ナナが受け取ろうとしなかったため、じゃあこれで自分のケーキをお土産に買ってきて欲しい、と言って渡してきたのだ。

 (粧裕がいたらなあ……)

 混雑する電車の中、周りの視線を気にせずいつものように座る竜崎の隣で、ナナは思う。彼女がいたら、変に意識することもなかったのに。
 いつもより彼との距離が近いためか、ナナは少し緊張していた。これはデートとも言えるんじゃないかと思ってしまったせいもある。
 それもこれも、京子の発言からだ。竜崎が異性だとか、自分と付き合ってるだとか。何も言われなければ意識することもなかった。

ナナさん」
「!」

 大人しくワタリさんを呼んでもらえばよかったかも、と少し後悔していると、考えていた相手に声をかけられ、ぎょっと隣へ目を移す。

「な、何?」
「さっきから口数が少ないですね、具合でも悪いんですか?」

 そう言うと、竜崎は心配そうに顔を近付けてきた。何故か慌ててしまったナナは背中を反らし、大げさに首を振る。

「ううん、大丈夫、全然大丈夫!」
「…そうですか?」

 過剰な反応に眉を寄せながらも体勢を戻した彼に、ほっと息をつく。
 何にせよ、この窮屈な空間がいけないのだと、電車のせいにすることにした。




「ねえ、ほんとにそんな食べれるの?」

 テーブルの上に敷き詰められた色とりどりのケーキたちに、ナナは心配そうな声を出す。すべて竜崎が選んで持ってきたものだ。
 窮屈な空間から解放された二人は今、『西風庵』のテーブルに座っていた。周りは女性客ばかりで、向かいで椅子の上に乗りケーキをつつく竜崎は完全に浮いている。

「わかりません」
「わからない…?」
「どれくらいケーキを食べられるか、一度やってみたかったんですよね」
「ですよねって……まあいっか」

 紅茶は啜るし、カチャカチャスプーンで音を立てるしでマナーも何もないが、心なしか嬉しそうにケーキを口に運ぶ竜崎を見て、お金の事は後で考えようと思い直す。
 そして自分も取ってきたチーズケーキにフォークを入れ、口に運んだ。人気店だけあって、とても美味しい。濃厚なチーズなのに、さっぱりとした口当たり。思わず頬が緩んでしまう。

「ふふ、美味し…」

 もう一口食べようとフォークを傾けたところでふと向かいを見れば、黒い瞳とぶつかった。

ナナさんは、本当に美味しそうに食べますね」
「だって『本当に美味しい』んだもん。美味しくない?」
「美味しいです」
「でしょ?」
「…なのに、それしか食べないんですか?」

 竜崎は、彼女の皿の上に乗った一切れのケーキを指差す。ナナは残念そうに答えた。

「食べたいけど、太っちゃうし…」
「頭を使ってれば太らないですよ」

 (…わたしは頭を使ってないと言いたいのか)

 反論するように聞いてみる。

「…そう言う竜崎は、どんなことに頭を使ってるの?」
「私は…」

 竜崎は考えるように視線を上にやり、「パズルを解いています」と答えた。

「パズル…?」

 首を傾げるナナに頷く。

「はい。正確には、パズルよりもっと深みのあるゲームです。責任は重いですが、それだけ解けた時の達成感は大きい」

 最初から説明する気がないような、抽象的な答えだった。
 これ以上聞いても教えてくれないだろうなと思いながらも、ナナは「それは、竜崎が忙しいことと関係してるの?」と問いかけてみる。
 案の定彼は、口角を上げて言った。

「ノーコメントです」
「あ、ずるい」
「知りたいですか?」

 知りたくないと言えば嘘になる。
 竜崎の半分は謎でできていると、ナナは常々思っているのだ。

「知りたい…よ?」

 躊躇いがちにそう言うと、竜崎は一層口元をほころばせ、ナナのケーキをフォークで指した。

「そのケーキをくれたら、教えてもいいですよ」
「…自分で持ってきたらいいじゃない」
ナナさんが今食べてるのがいいんです。美味しそうなので」
「……口つけてるよ?」
「構いません」
「…わたしが構います」

 平然と言った彼に戸惑いながらもそう返せば、彼は残念ですとフォークを口に入れながら呟いた。その口元にはまだ笑みが浮かんでいて、全く残念そうに見えない。

 (もう…本気なのか、からかってるのか……)

 一ヶ月、その中の六日間はほぼ竜崎と一緒に過ごしていたにも関わらず、ナナには見えない部分がたくさんある。
 やっぱり、竜崎の半分は謎でできているに違いない。





 次の日のホームルームは、個人のテスト成績がひとりひとりに手渡された。月に誉められたくもあったナナは、期待半分不安半分に壇上に立つ先生を見つめて呼ばれるのを待つ。とても緊張していたので、隣からの視線に気づかなかった。

佐藤ー」

 (来たっ!)

 ガタンと勢いよく立ち上がり、いそいそと月の元へ向かう。先生は極上の笑顔で迎えてくれた。

「よくやったな、佐藤。これからも頑張れよ」

 と、 蕩けるような笑みと共に成績を渡される。それだけで幸せだったが、今度はそれ以上に嬉しいことが起こった。月が自分の頭をぽんぽんと軽く叩いてくれたの だ。セクハラと言われかねない行為だったが、月先生の場合それが許されてしまうから不思議だ。実際、ナナはセクハラどころかご褒美と捉え舞い上がってしまっている。

「あ、ありがとうございます…」

 褒めてくれたことに対してなのか、撫でてくれたことに対してなのか。自分で もよくわからないまま、必死に礼を返したナナは、満足気に頷く月を確認してぎこちなく回れ右をし、席へと戻る。途中スキップしたくなったが、何とか抑える事ができた。席に着いたナナの頬は緩みっぱなしだ。

 (先生に頭撫でられたのなんて初めて…一番前に座る清美ちゃんの目がちょっと恐かったけど……)

 すっかり熱くなった頬を押さえながら惚けていたナナは、月が成績を配り終えたところでやっと横からの視線に気づいた。
 見れば、竜崎がつまらなそうにこちらを見ている。

「どうしたの、竜崎?」
「……よかったですね」
「? うん…」

 少し投げやりな口調が気にかかったが、うっとりしていた彼女は、すぐに気のせいということにしたのだった。


2012/08/23
2012/09/27