シャーロットが一通の手紙を受け取ったのは、八月二二日のことだった。そこには「あるだけの女性用の服と外套をくれ」と書かれていた。差出人は不明。ただ五ポンドが封筒に入っていた。
シャーロットは手紙の主がなぜ自分の服を欲しがるのか不安になり、警察に相談することも考えたが、結局手紙の言うとおりに、あるだけの服とコートを玄関先に置いた。自身の心配よりも目先の利益を優先したのだった。
亡き夫の結婚指輪をなくしたと気づいたのは、その服が誰かに持ち去られた後だった。家にないのなら、それらの服のポケットの中にあるはずだ。そう考え、手紙の送り主の住所に行ってみたものの、そこは廃墟だった。まったく出鱈目の住所だったのだ。
怖くなり警察に相談しようとした矢先に、売春婦が殺害される事件が起きた。シャーロットは恐怖に陥った。喉や腹を抉った残忍な殺人。その殺人鬼がそばにいるかもしれないと、考えただけでぞっとした。
同時に、こんな推測をした。ナイフで皮膚を抉ればそれだけ血が出る。返り血を浴びても逃げるときに目立たないようにするには、コートか何かを着て犯行後に脱げばいい。そう考え、先日の手紙が思い出された。季節外れのコートも欲しいと綴られた手紙を。
――もしかしたら、自分の服を手紙の主である犯人が着て、犯行に及んだのではないか。
ふと思い浮かんだその憶測が彼女を苦しませた。考えれば考えるほど、それは真実味を帯びているように思えた。
そうして二度目の殺人が起き、シャーロットは食欲もなくなっていった。警察に相談すれば、自身が事件の犯人に手を貸したと知られてしまう。いくら知らなかったとしても、なぜ警察に言わなかったのか追求されるだろう。店を開ける余裕もなかった。
精神的に疲弊しきっていたところに、サラたちが尋ねてきた。そして、夜中にホワイトチャペルを歩いていなかったかと聞かれた。シャーロットの憶測は確信に変わった。犯人は自分の服を着て、犯行に及んでいるのだ。
シャーロットは愕然とした。利益を求めて要求に応じた自身を恥じた。もうこのことは、一生涯誰にも話さない。そう誓ったはずだった。
彼女の意思を揺るがせたのが、サラたちが持ってきた夫の指輪だった。見つからないと諦めていた夫の形見を前に、シャーロットは涙を流した。「許してほしい」と何度もその指輪に向かって口にした。もう嘘をついても仕方がないと、シャーロットは正直に話すことにした。

彼女の話を聞いて、一番にエルが聞いたのは、一七、八くらいの若い男が店に来なかったかということだった。笑うとえくぼのできる男性――デイヴィスの特長だった。
シャーロットは来たことがあると答えた。時期は八月上旬。後で調べてわかったことだが、デイヴィスがホワイトチャペルの下宿屋に泊まり始めたのは七月の下旬だった。
なぜ、エルがデイヴィスの特徴を言ったのか。それは彼がデイヴィスを犯人であると目星をつけていたからだ。エル曰く、サラがエルを追って転んだとき、デイヴィスがハンカチで傷口を縛った。その縛り方が、二人目の被害者の首と胴をつないでいたハンカチの縛り方と酷似していたのだ。それは縦結びと言われる独特な縛り方だった。
それからのエルの行動は早かった。ウィッグを扱う店へ赴き、デイヴィスが来店しなかったか聞き込みを行った。そして彼が下宿屋にいない時間を計って、下宿屋の主人に事情を説明した後、彼の部屋を捜索した。彼の部屋には瓶詰めされた臓器があった。これが決め手となった。あとは実際に犯行に及ぼうとするところを捕まえればいい。
犯人逮捕には、ホワイトチャペル自警団が協力してくれた。ヤードには彼らが連絡を入れたため、デイヴィスを捕まえて少しすると大勢の警官がやってきた。デイヴィスはその場で逮捕。臓器などの証拠も押収された。
母の墓の前で、サラは静かに手を組む。エルという未来人に出会ったこと、彼とともに犯人を捕まえたことを報告する。
さわりと優しい風が吹いた。目を開けると彼女に供えたモスローズが揺れている。犯人の逮捕を喜んでいるかのように。
「……お母さん、喜んでくれたかな」
「……きっと、喜んでると思います」
隣に立つエルが答える。
「犯人を突き止められたのは、エルのおかげだよ。本当にありがとう」
「……私は、サラさんの依頼に応えただけですから。当然のことをしたまでです」
それでも、警察が捕まえられなかった犯人を逮捕できた。すべてエルの力だ。
「……あとは、エルがどうやって未来に帰れるかだね」
正直に言うと、エルと別れたくなどない。ずっと一緒に過ごしたいという思いが強い。
しかし、エルは未来に帰りたいだろう。帰りを待っている人もきっといるだろう。エルは未来の人だ。この時代にずっといるわけにはいかない。
エルは「そうですね」と気にしていないように頷いた。
「それはまた、おいおい考えます……行きましょうか」
エルの言葉に頷く。
戻って、未来へ戻る手立てを一緒に考えよう。それがサラがエルにできる唯一の恩返しだ。
そう決意して、彼の後に続いて墓地を出ようとする――そのときだった。
前を歩く彼の目の前が、歪んだ。青い空が、荒涼とした地面が、辺りにある木々が、十字架が、すべてが歪んだ。サラはとっさに彼の長袖の裾を掴んだ。
「待って!」
エルは立ち止まらなかった。サラは彼とともに、吸い込まれるように景色の中へ飛び込んだ。

耳慣れない音がする。ごうごうと大きな何かが飛び交っているような、そんな音。
サラは目を開けた。最初に飛び込んできたのは白い立派な十字架。石造りの墓がその下に作られている。刻まれた名は「メアリ・アン・ニコルズ」。ピンクのモスローズが供えられ、風に揺られている。
轟音のする方向を振り返れば、見たことのない物体がぶーんと音を立てて、とてつもない速さで舗装された道を走っている。汽車と同じくらいどう猛で、けれど汽車よりも小さな獣たち。
右手がエルの長袖を掴んでいることに気づき、隣に立つエルを見上げる。彼は珍しく目を見開いている。
――ああ、ここはエルのいた未来なのだ。
彼の驚きから、サラは悟った。
サラたちは口を揃えて言った。エルはサラに、サラは自分自身に。
「……何でここに?」