透桜子はエルの言う通りに、証券口座を開設し、パソコンとお金を貸した。それからエルは、パソコンの前にずっと座るようになった。この世界の情報収集もしていたのかもしれない。膝を立てて座る彼とパソコンの組み合わせは、とても自然だった。もしかしたら、パソコンの前にずっと座ってたから、猫背になったのかもなと
透桜子は思った。
エルがパソコンの前に座っているとわかる理由は、彼の部屋の襖が開いているからだ。心を開いてくれているようで嬉しい。
エルに言われるまま、様々な企業に投資を続けていると、徐々にお金が増えていった。投資額が少ないので億万長者になるということはなかったが、少しずつ、確実に増えていっていた。
透桜子はそのお金をエルの食費などに回した。甘いお菓子を買うために。
エルは前の世界で甘いものしか食べなかったと聞いたときは、あまり驚かなかった。服や物を持つ指にすらこだわりがあるのだ。食にもこだわりがあるだろうと思い聞けば、案の定そう答えた。理由は頭の回転をよくするため、だそうだが、
透桜子の見る限り、単純に甘い物が好きなように感じた。
零時に雨の降らない日は会えないため、エルに少しでも高く、美味しいお菓子を食べさせたいという気持ちは尚更大きかった。暇があれば有名店を探し、そこへのアクセスなどをスマートフォンで確認していた。
定時で帰った今日も、
透桜子は七時から始まるお菓子の有名店の紹介番組のため、テレビをそのチャンネルにし、時計を見ながら夕飯を作っていた。今はまだ六時半で、夕方のニュースが流れている。珍しくエルがソファに座り、テレビをじっと見ていた。台所からその表情をうかがう。彼の顔は真剣で、眼差しはテレビだけに注がれていた。画面の中では、いまだ捕まらない殺人犯の手がかりをキャスターが呼び掛けている。
どうしたのだろうと見つめていると、炊飯器の音が鳴った。ご飯をよそい、お盆におかずとケーキをのせ、エルのいる居間へ入る。
「ご飯、できたよ」
「……ありがとうございます」
エルはいつものようにお礼を言い、テーブルへついた。いただきますと二人で手を合わせる。今は違うニュースに変わっていたが、エルは心ここにあらずな様子でケーキを食べていた。気になって、尋ねる。
「何か、ニュースで気になったものあった?」
エルはケーキに目を落としながら答えた。
「まだ捕まらない殺人犯が、気になります」
やはり先ほどのニュースのことか。事件について、自分が知っている情報を話す。今世間で騒がれている、不可解な事件。自分の拙い情報でエルが推理できるはずもなく、その日は「奇妙な事件ですね」とエルが呟くように言い、この話は終わった。
「……エルが、探偵を始めたのは何歳くらいの時?」
できるだけ自然な口調で、聞いてみる。エルの子供時代のことは、ずっと聞きたかった。叔父の資産を増やしたというなら、両親はいたのか、いなかったのか。今日でエルが来て二三日になる。そろそろ聞いてもいいタイミングなのではないかと思った。
エルは「一二歳です」と気分を害した様子もなく答えた。
一二歳。日本なら小学六年生くらいの歳。その歳に探偵になり、頭角を現した。
唖然とし、エルを見つめる。「食べないんですか」とエルに言われ、我に返った。
「そんな、幼いときからやってたんだね……」
「マネーゲームと一緒で、犯人を見つけるために推理するのが楽しかったんです。ゲームの延長で、探偵をしていました」
「ただ、そこから生まれる責任は常に感じてましたが」と続ける。その責任を一二歳で負うなど、考えられなかった。
「一人で、やってたの?」
誰かが彼のそばにいてほしかった。そうであってほしいと思いながら聞く。
「いえ。ワタリという、私の父に当たる存在である人と、一緒にやってました。彼は、私の身の回りの世話から、事件を引き受ける窓口まで、何から何までやってくれました……本当に、頭が上がりません」
エルは顔をうつむかせた。本当に、お世話になったのだろう。
父に当たる存在。父ではないとしたら、どういう関係なのか。尋ねてもいいのかわかりかね、ただ無言でご飯を食べていると、エルのほうから話し出した。
「……ワタリは、私のいた孤児院、『ワイミーズハウス』の創設者でした」
孤児院、の言葉にハッとエルを見る。エルもまた、こちらを見ながら続けた。何の表情も、浮かんでいなかった。
「ワタリの本名は『キルシュ=ワイミー』。発明家でした。発明で得た資金で『ワイミーズハウス』を創設しました。そこでは、親のいない子供たちに、英才教育を施していました……私は、ワイミーさんに連れてこられた、孤児でした」
「ワイミーさんは、私の我が儘を、今も昔もよく聞いてくれました。当時は珍しく、とても高価だったコンピュータも、私が要求すれば、買ってくれました……パソコンを貸してくださったときに、言った『叔父』は、ワイミーさんのことです。私はそのコンピュータで、マネーゲームを楽しみました」
「数年後に、今日本で起きているような、全く手がかりのない連続殺人事件がイギリスで起きました。私は興味を持ち、犯人を突き止めました。それが、探偵として生きることのはじまりでした。ワイミーさんも、私とともに歩むと決めてくださいました」
エルは話を終え、紅茶を啜る。
透桜子はただ、「そうだったんだ」と相づちを打つしかなかった。彼の才能を、ワイミーさんは見出していたのだろう。孤児だった彼と、ともに生きることを決めたのだ。
ワイミーズハウスに入る前は、どうしていたのか。一瞬疑問がよぎったが、すぐに消し去った。世の中には、聞いて良いことと悪いことがある。
「
透桜子さんは、なぜ医療事務を?」
急に自分に話が振られ、思わず固まる。
「エルに比べたら、全然大したことない話だよ」と言うも、エルは「聞きたいです」と促した。
「叔父に……父の弟に、紹介された仕事なんだ。今勤めてる病院は、父が院長をしていたの」
一七歳で両親が死に、一度は叔父に引き取られた。叔父は自分を大学に行かせたがっていたが、働くことを選んだ。そこで、叔父は病院の事務の仕事を紹介してくれた。
「本当は、自分で職を探すべきだし、そうしたかったんだけど、私は何の才能もなかったから」
自嘲する。勉強も運動も並。興味のあることも好きなことも、これと言ってない。
透桜子の家系は、代々医者だった。もちろん、医者にならなかった者もいるが、そういう者は音楽家や作家となり大成してきた。
父は生前、興味のあること、夢中になることを探せと、よく言っていた。父に従順な母は、それについて何も言わなかった。
「――私だけが、異端なの。好きなことも、やりたいこともない」
このことを話したのははじめてだった。口にすると、自分の情けなさが一層際立つ。重い空気にしたくなくて、少し笑うと、エルは目を細めた。
「好きなことも、やりたいこともなくても、それで良いと思いますよ。
透桜子さんは、
透桜子さんの思うように生きればいい。実際、
透桜子さんは今の生活に満足しているでしょう?」
聞かれて、「うん」と答える。考えるまでもなく、自然と出てきたのが肯定だった。
「なら、それでいいと思います」
エルは、自分の生き方を肯定してくれた。両親でさえ言ってくれなかった言葉。ずっと心の底にあった、罪悪感が拭われた気がした。
「ありがとう……」
何か言わないと、と必死に口にしたお礼。その声は掠れていた。
次の日の夕飯時のことだった。雨音を背に二人でテーブルを囲っていると、エルがメールアドレスを作ってもいいかと聞いてきた。
「いいけど……誰かにメール送るの? それともSNSのアカウント作るの?」
アカウントを作るなら、自分も作ってフォローしたい。軽い気持ちで聞いてみると、まさかの言葉が出てきた。
「警視庁に、メールを送りたいんです」
「警視庁?」と思わず聞き返す。
「はい。
透桜子さんが話してくれたあの事件、夕べから調べていたんです。犯人が分かったので、とりあえず警察に知らせようかと」
「え?」
前の世界で探偵をしていたことは知っている。それも、世界一の名探偵。知っててもなお、驚きは隠せなかった。
「それはすごい……! どうやってわかったの?」
エルはマカロンを食べながら、何気なく答えた。
「警視庁のデータベースから情報を引き出して、自分なりに推理してみました」
「警視庁のデータベース?」
「
透桜子さんのパソコンでハッキングしました」
「足はつかないようにしたので、大丈夫です」と彼は飄々と言う。
透桜子は置いてけぼりをくらったように、話が飲み込めなかった。
「メールアドレスも、警察に送ったらすぐにアカウント削除します。警察に
透桜子さんがメールを送ったと悟られないよう工夫もします」
「……すごいねえ」
いろいろと言いたいこともあったが、口から出てきたのはやはり感嘆だった。株の才能があるかと思えば、国の機関にハッキングできたり、難事件を推理してしまったり。第一印象で感じた、ただ者ではなさそうだという直感は、間違いではなかったようだ。
「エルって、何者?」
思わず尋ねる。彼はわずかに口角を上げて言った。
「探偵です」
未解決だった事件が動いたのは、それから三日が経った頃だった。手がかりがないに等しい事件だったのに、犯人が逮捕された。意外にも、若い女性だった。連続殺人犯が若く美しい女性だったことで、新聞や週刊誌、テレビはこぞって犯人を取り上げた。『美しき猟奇殺人鬼』。そんな言葉が躍る。
エルのメールで、警察が動いた。内部の事情は知らないものの、タイミングが合うためそう感じてしまう。
「誰にメールを出したの?」
すでに何回も流れている、女性が逮捕される映像を見ながらエルに尋ねる。隣に座る彼は淡々と答えた。
「この事件を担当している、本部のアカウント宛にです」
朝メールを開き、殺人犯を推理したメールが届いていたら。真偽はともかく驚くだろう。もしかしたら取り合わなかったかもしれない。けれど、実際に警察は動き、犯人は逮捕された。エルのメールはそれだけ核心をついていたのだ。
改めて、エルのすごさを実感した。
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